エアレンディルの冒険 覚え書き (10)

共通歴 590年・群羊月・17日

拠点

女神の加護もあり、予定通りにゴブリンどもの拠点へとついたのは日が西に沈む前だった。薄紅に染まる空に、煮炊きの煙がうすくたなびいていた。夜を活動時間とするゴブリンどもの早めの朝食だろうか。奥へと続く扉の前には、2人の歩哨がぼんやりと立っていた。
まずは、相手の様子を伺おうと近くの林に潜んだまま観察を続けた。煙が出ているのは入り口を除いて4箇所。遠巻きにぐるりと周囲を見てきたコナーが言うには、歩哨の立っている入り口以外の出入り口はなさそうだとのことだった。とすると、朝を待って(ゴブリンは夜行性なので)扉から廃墟に侵入し、各個撃破していくのが無難であろうと結論づけた我々は、ゆっくりとその場を辞そうとした。離れた場所で仮眠を取るために。

敵の子供

しかし我々は、その動きを止めざるを得なかった。扉から小さなゴブリンがこちらへ向かってやってくるのが見えたからだ。おそらくは、子供のゴブリンが森へ木の実でも拾いに来ようとしていたのだろう。我々は息を潜めて奴らの動向を窺った。
近づいてくる。そのうちの一匹が私のすぐ近くを通った時……間の悪いことに……カチャリと腰に下げた長剣が鳴った。身を潜めるため姿勢を低くした動きで、剣帯と金具とがぶつかってたてたのだろう。しかし問題は、その音でゴブリンの子供がこちらを見たことの方だろう。一瞬、ほんの一瞬だったが、確かに目があったのだ。

その後、そのゴブリンの子供は何事もなく廃墟の方へ戻り……そして叫んだ。おそらくは、「敵襲!」と。

彼は、私を見つけたことを悟られないように「何事もなさ」を演じきったのだ。目があった時に切り捨てることもできたが……妖魔とは言え子供であるという思いが何処かにあり、私はその機を逃してしまった。

ゴブリン語を聞き取ったコナーが木陰から姿を現し逃げることを提案した。我々はその言葉に従い、すぐに身を翻した。敵の拠点の近くで、しかも野外で多数の相手と戦うのはいかにも分が悪いからだ。
幸い、まだ太陽の加護があることが我々に味方した。ゴブリンどもの全員が追いかけて来ることはなかった。しかし、編成された追撃部隊の追跡は執拗を極め、ついに荒野の一角で我々は彼らと相対することとなった。

追撃隊との交戦

初めの一団は、ゴブリンとヴォーグ、そしてバグベアの混成部隊であった。バグベアとは、ゴブリンとよく行動を共にする妖魔で、その力はゴブリンをかるく凌ぐ。しかも、ゴブリンの数は10匹を超えていたし、闇の獣ヴォーグの移動力は野外では脅威であった。
私は植物を司る我が女神に〔からみつき〕の奇跡を請うた。

ゴブリンどものほとんどは、突如意志を持ったかごとく移動を阻む植物に絡みつかれたが、その状態からでも果敢に弓を撃ってくる。ヴォーグはその脚力でもって、植物の檻をすり抜け、(狡猾にも!)フベルトゥスを狙ってきた。一匹はアレクセイが身をもって移動を阻んでくれたが、残るもう一匹がフベルトゥスを引き倒した!

闇に落ちたとはいえ、野生の獣の知恵では「魔法使い」を一番に狙うなどと考えることはできないはずだ。しかし、その動きは訓練された動きだった。そう思って、バグベアを見ると口から笛を離した所だった。やはり、奴が命令したのだ。奇妙な笛の響きで。そのバグベア自身も、絡みつく植物を引きちぎりながら接近してくる。素早くティリダテネスが迎え撃つが、その彼女もゴブリンに囲まれ動きが取りにくそうだった。

私とコナーは、慌ててフベルトゥスの援護に向かった。引き倒された状態で呪文を唱えることは大きな隙を生む。「魔法使い」であるフベルトゥスはその体勢では本来の力が出し切れない。それだけではなく、鎧を身につけていない彼は容易に獣の牙にかかってしまうのだ。

それでも彼は、必死に杖で身を守っていた。最初の一撃で昏倒しなかったのも、彼がドワーフで、タフであったからだったろう。闇の獣の牙はそれほどに鋭いのだ。

コナーがヴォーグを牽制し、フベルトゥスが身を起こす時間を稼いだ。私は彼の傷を癒すべく祈りを捧げた。ゴブリンとヴォーグとに囲まれた状態で呪文を唱えるのは、極度の集中を要したが何とか唱えきり、彼の傷をとりあえず塞ぐことができた。シヴァはアレクセイとともに戦っていたが、守れと頼まれていたフベルトゥスの様子を心配してか、ヴォーグが大きく後退してしまうと追撃できず攻めあぐねているようだった。

戦いは、長く苦しかった。フベルトゥス〔眠り〕の呪文でゴブリンどもの何匹かを眠らせても、隣のゴブリンが起こしてしまってすぐに戦線に復帰してくる。ヴォーグの獣の生命力を削る間に、彼らはその移動力を生かし野外を駆け、コナーやフベルトゥスなど鎧の薄い者をその牙で狙う。鎧に身を包まれた私やティリダテネスにとっても彼らの膂力は脅威となる。それはシヴァを見てきた我々だからこそよく分かった。

噛みつき、引き倒し、転倒した獲物を集団で襲う。狼の狩りのやり方は知っていたが、実際に我が身で受けるとひどく守り辛い。かれらは人間と違う間合いを持ち、人間と異なる場所を狙ってくる。それでも、シヴァの狩りを見てきた私たちは身を守ることができた。しかし、小柄なコナーやフベルトゥスは何度か引き倒されていたし、それを牽制しながら治癒の祈りを捧げる私も徐々に傷ついていった。

ゴブリンに囲まれながらもヴォーグと相対していたティリダテネスが、奴を倒したことで勝機を見いだすことができた。最大の脅威を倒した彼女は、徐々にではあるが確実にゴブリンどもを仕留めていったのだ。

敵の数が減れば、戦いやすくなってくる。私とコナーは協力してヴォーグの一匹を倒し、目前の獣から解放されたフベルトゥスも〔魔法の矢〕を放つ。シヴァが引き倒したヴォーグにはアレクセイがとどめを刺し……満身創痍ながらも我々は最初の追撃者たちとの戦いを乗り切った。

さらなる追撃

しかし、次の襲撃者達がすぐにやってきた。体の怪我だけは、癒しの奇跡と治癒の霊薬で塞いだが、疲れが残っていた。私やフベルトゥスなどの呪文使いは、日に行使できる術の半分も残っていない状態であった。私などは、すでに癒しの奇跡を使い切り、治癒は魔法のワンドに頼っている状態だった。

新しい追撃者達は、数こそわずかに少なかったものの精鋭部隊だった。まずは先ほどと同じく闇の獣とバグベア。しかもバグベアはヴォーグにまたがってやってきた。ヴォーグの機動力を生かし、突撃を敢行するために。案内役のゴブリンどもも、皆弓矢を携えてくるほどの周到さであった。そして、その部隊を率いていたのがオーガ、食人鬼である。奴は人間の胴などひと薙ぎで輪切りに出来るほどの巨大な斧と、それを振るうに相応しい巨躯を備えていた。

野外で、しかも少人数であるということが、我々には不利であった。私やティリダテネスにとってはさほど脅威とならないゴブリンどもも、フベルトゥスのところまで回り込まれると彼の身は危険にさらされる。ヴォーグに乗ったバルログの突進を受け止めている隙に、別のヴォーグやゴブリンは簡単に彼のもとまでたどり着いてしまう。彼を守るアレクセイやシヴァの前にも、降り注ぐ矢に気を取られた隙を狙うヴォーグがいる。

オーガの巨躯の前に立ちふさがるティリダテネスも、下がるわけにはいかない戦いをしていた。オーガが今以上に我々に近づくと、不用意な行動(呪文を唱えるとか、武器を持ち替えるとか)が行えなくなるのだ。オーガの間合いは我々のものよりも広く、もう一歩を踏み出せば、我々に手が届いてしまうのだ。

そのなかで、ヴォーグに引き倒されたフベルトゥスの傷を癒そうと、思わず不用意な移動をしてしまった私は、鎧の隙間を偶然についたバグベアの剣で意識を手放した。気がついた
一瞬後には、治癒の霊薬を飲ませてくれたコナーの後ろで、フベルトゥスが獣の牙に引き裂かれていた。私は、フベルトゥスへ近づき治癒のワンドを発動させた。彼の流血は止められたが、覚醒させるほどの回復ではなかった。もう一度力を使おうとしたら、バグベアの剣が振り下ろされてきたので、慌てて盾で受け止めた。長剣を振るう暇は、なかった。アレクセイとシヴァは、倒れたフベルトゥスを守るため細心の戦いを余儀なくされた。

アレクセイはあと一撃でもその身に受けたら、おそらく命を失うだろう。それをさせないための、位置取りと牽制に、我が身の守りがどうしても疎かになる。敵に囲まれる位置に敢えて飛びこんだシヴァの銀の毛も、赤い血でまだらになっていった。
いつもならその小ささで攻撃を避け反撃するコナーも、ヴォーグの引き倒しの前にはどうしても防御にまわりがちであった。一度でも奴らの攻撃を受けてしまっては、軽々と大地に引き倒されてしまうのだから仕方がない。接敵されてしまっては得意の弓も撃てず、短剣で敵を牽制するのが精一杯だった。

後衛を気にしたティリダテネスの隙を見逃さず、オーガが彼女を昏倒させる一撃を放つ。その一撃は、鎧の上からでも彼女を吹き飛ばすほどの威力を見せた。私は、彼女に駆け寄り治癒のワンドを振るった。その私を狙うオーガを牽制すべく、コナーはハランダーを、魔法の短剣を投げた。

いかに魔法の剣といえども、短剣では与えられるダメージに限りがある。オーガは短剣を頑丈な皮膚で受け、そのまま気にせず私を殴りつけてきた。激しい衝撃に、気が遠くなる。薄れゆく意識の中で最後に見たのは、短剣を片手に立ち上がるティリダテネスであった。

治癒のワンドで癒せる怪我などたかが知れている。それでも彼女は立ち上がり、吹き飛ばされたレイピアの代わりにコナーの短剣を手にオーガに向かって行ったのだった。

死闘の末に

目覚めて最初に目に飛び込んできたのは、泣きそうなティリダテネスの顔と、心配げなコナーの顔だった。残っていた最後の霊薬を私に飲ませてくれたらしい。

私は慌てて治癒のワンドを探した。魔法のワンドは、呪文を使う素養のあるものにしかその力を解放することができない。最後の霊薬で、私の目が覚めなかったら……街までの道のりを意識のない2人を気遣いながら戻るしかなかったのだ。最悪の心配をしながら。

治癒のワンドを数回使い、まずはフベルトゥスを目覚めさせた。それから、怪我をしたものを……ようするに全員をだが……順に癒していく。最後に癒しきれなかった小さな傷に簡単な応急処置を施し、傍らに落ちていた長剣を鞘に収めた。

皆、一様に疲れていたし、ゆっくりと休みたかった。しかし新たな襲撃を振り切るためにも、強行軍でハードバイへと戻ることを決めたのだった。